船窪村(読み)ふなくぼむら

日本歴史地名大系 「船窪村」の解説

船窪村
ふなくぼむら

[現在地名]会津坂下町船杉ふなすぎ

西は丘陵山地に接する山麓にあり、北はすぎ村、東は蛭川ひるかわ村。大同年間(八〇六―八一〇)猪苗代湖が陥没した際この地に移り、もとの村名を称したと伝える。「会津旧事雑考」所収天喜五年(一〇五七)六月三日の八幡宮神役目録に「船窪村僕一番」とある。「塔寺長帳」によれば、応永三三年(一四二六)の放生会の際に「船くほの法性」が下人を刃傷する事件を起こし、蘆名盛政は法性に二貫文の科料を科し、これに七五貫文を加えて塔寺とうでら八幡宮の修理料としている。永正一六年(一五一九)には「此時すき、ふなくほ、ひる川、くり村の物共」が起請している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に舟窪とあり、高一三三石余。寛文五年(一六六五)の「稲河領牛沢組郷村万改帳」では高一四〇石余、免四ツ八分七厘余、家数一八、竈二五、男六五・女五〇、馬一七、小物成に綿役・糠藁・足前・山役があり、ほかに役漆木二四三本、役蝋五貫一〇九匁余、ほかに養蚕をし、薪を伐って商売している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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