日本歴史地名大系 「芝二本榎相福寺門前」の解説 芝二本榎相福寺門前しばにほんえのきそうふくじもんぜん 東京都:港区旧芝区地区芝二本榎相福寺門前[現在地名]港区高輪(たかなわ)三丁目芝二本榎朗惺寺(しばにほんえのきろうしようじ)門前の南に続く片側の門前町屋。東は相福寺境内、西は中原(なかはら)往還を隔てて武蔵川越藩松平家下屋敷・筑後久留米藩有馬家中屋敷、幕臣邸地、南は本多横(ほんだよこ)町を隔てて信濃飯山藩本多家下屋敷。万治元年(一六五八)相福寺とともに当地へ移転。延享二年(一七四五)から町奉行支配。里俗に二本榎椎ノ木前(にほんえのきしいのきまえ)とも唱えた。向い側の川越藩邸に椎の大木があり往来へ張出して茂っていたためという。南側の本多横町の名称は飯山藩主本多氏にちなむ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by