花園天皇陵(読み)はなぞのてんのうりよう

日本歴史地名大系 「花園天皇陵」の解説

花園天皇陵
はなぞのてんのうりよう

[現在地名]東山区粟田口三条坊町

青蓮院しようれんいんの南にある。十楽院上陵じゆうらくいんかみりようともいう。「京都府地誌」に、「村ノ東南、字上坊ニアリ、周囲廿九間壱歩。反別弐畝廿九歩。土高十五尺余。樹竹叢生ス」とみえ、「陵墓一隅抄」には「粟田青蓮院御構内東南上ノ坊ノ篁中、知恩寺方丈境地」とある。「坊目誌」は、「十楽院の敷地中にして、指掌図に御塔とあるは是なり。明治十年実測図に第五十七番地、一反六畝十四歩とす」と記す。

花園院送葬のことは、「園太暦」所引の「慈厳僧正記」貞和四年(一三四八)一一月一三日条に「(花園院)御葬礼、(中略)先幸太子堂(中略)於十楽院上山、構山作所奉葬之云々」とみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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