日本歴史地名大系 「粟田口村」の解説
粟田口村
あわたぐちむら
現東山区の東北地域で一部は現左京区。村内に
村名は江戸時代以降に現れるが、粟田の呼称は古代の
中世の粟田口の名は承久三年(一二二一)八月六日付の「尼しくわん譲状」(東寺百合文書)に「あはたくちやちのうちにくわんをんたうあり、これは、たうせんゐんと申候、又いつくのしようしようも」とあり、この文書の主の所有した粟田口屋地の内に観音堂があった。弘長四年(一二六四)二月二七日の藤原氏女譲状(同文書)にも「ゆつりわたすあわたくちのやち、ならひに、いつれの庄々も」とみえ、両状とも洛外鴨東にありながら粟田口の地が屋地として譲渡されていたことを伝えている。また祇園社の「社家記録」正平七年(一三五二)九月六日条に「先日天竜寺乱入強盗露顕、粟田口
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報