朝日日本歴史人物事典 「花山院家理」の解説
花山院家理
生年:天保10.9.7(1839.10.13)
幕末維新期の尊攘派公家。堂上公家(精華家)出身。右大臣花山院家厚の子。弘化2(1845)年侍従。嘉永4(1851)年5月に元服して昇殿を許され,右近衛権少将となる。さらに安政4(1857)年5月左近衛権中将,翌5年1月に正三位,同年4月朝廷内88人の列参事件に加わった。万延1(1860)年12月に官を辞し,文久3(1863)年1月に位記を返上。二豊(大分県)を中心とした北九州尊攘派の擁立運動を受け入れるが,九州へ渡る直前の明治1(1868)年1月20日,周防室積において拘禁され,京都へ護送ののち8月に篠山藩(京都府,兵庫県)で幽閉された。<参考文献>高木俊輔『明治維新草莽運動史』
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報