朝日日本歴史人物事典 「花山院忠雅」の解説
花山院忠雅
生年:天治1(1124)
平安後期の貴族。花山院太政大臣あるいは粟田口太政大臣と称される。権中納言藤原忠宗と参議藤原家保の娘の子。久安4(1148)年権中納言,平治2(1160)年権大納言,仁安2(1167)年内大臣と昇進を重ね,仁安3(1168)年には太政大臣に任ぜられた。嘉応2(1170)年に官を辞し,元暦2(1185)年出家,法名理智覚(覚智とも)を名乗る。故実に明るく,「当世の国老」と評された。鳥羽院の有力院司藤原家成と深くつながり,家成を通じて藤原頼長とも親交を持った。<参考文献>五味文彦『院政期社会の研究』
(上杉和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報