若子村(読み)わかごむら

日本歴史地名大系 「若子村」の解説

若子村
わかごむら

[現在地名]大野市上若生子かみわかご下若生子しもわかご

真名まな川上流の山間にあり、北は川を下って五条方ごじようほう村、笹又ささまた峠を越えて木本地頭このもとじとう村、南は川を上って中島なかじま村に至る。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「西四郷」に含まれていた。村名は正保郷帳にみえ、畠高のみ一一石余であった。初め福井藩領、寛永元年(一六二四)以降大野藩領。

元禄郷帳では若子村の村高は七・六六六七石、枝村下若子村として高三・八三三三石が記され、天保郷帳では、若子村高八石一斗余、枝村下若子村高五石六斗余。この頃はすでに下若子村に対し、若子村を上若子村ともよんでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android