日本歴史地名大系 「若宮戸村」の解説
若宮戸村
わかみやどむら
若宮戸山または
「江連用水誌」によれば文政年間(一八一八―三〇)の反別は田三七町四反五畝余に対し畑五五町三反七畝余。文政元年からの一〇年間に四斗俵で四千九三七俵余を年貢として納めるべきであったが、実際には三千九〇〇俵余しか納めなかった。同一二年の地頭別高調書(稲葉家文書)によれば旗本初鹿野河内守・稲生七郎右衛門・富永喜三郎(いずれも一四五石余)、佐々木五郎右衛門・内藤熊太郎(ともに七五石余)、坪内源五郎・興津健之助・小倉主税(いずれも五五石余)の八給。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報