若木山(読み)ワカキ タカシ

20世紀日本人名事典 「若木山」の解説

若木 山
ワカキ タカシ

昭和期の日本画家



生年
明治45(1912)年4月3日

没年
昭和49(1974)年1月28日

出生地
熊本市坪井町

学歴〔年〕
帝国美術学校卒

主な受賞名〔年〕
日本美術院賞〔昭和46年〕「夏の水」

経歴
大正14年河野耕雲の内弟子となり、昭和3年蔦谷龍岬の鐸鈴社に入門。4年創設された帝国美術学校の第1回生として学ぶ。10年堅山南風に師事し、14年横山大観の内弟子となる。この間11年第1回改組帝展に「山の女」が初入選。18年応召し満洲部隊に配属シベリアの収容所で捕虜生活ののち、22年帰国。23年院展に「常陸乙女」が初入選、以後帝展に出品し、26年「安房の海処女」が奨励賞となり、ついで36年、40年、44年、45年、47年といずれも奨励賞を受賞。46年「夏の水」で日本美術院賞。40年より没年まで丸善画廊で個展を開催。没後翌2月に日本美術院同人に推挙された。水を多く題材に、明るい色彩と幾何学的構成の画風を展開した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若木山」の解説

若木山 わかき-たかし

1912-1974 昭和時代の日本画家。
明治45年4月3日生まれ。河野耕雲,堅山南風,横山大観らに師事する。昭和11年帝展で「山の女」が初入選。戦後は院展を中心発表,46年「夏の水」が日本美術院賞を受賞した。昭和49年1月28日死去。61歳。熊本県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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