朝日日本歴史人物事典 「若江薫子」の解説
若江薫子
生年:天保6(1835)
幕末・明治初期の漢学者,歌人。伏見家に仕える若江量長の子。秋蘭と号した。京都に生まれる。父から漢学,習字など厳格な教育を受け,千種有功らに和歌を学んだ。一条家の寿栄姫(後の昭憲皇太后)の侍読となり,皇后教育に当たる。しかし,強硬な遷都反対論,攘夷論により新政府に宮中入りを禁止され,また大村益次郎暗殺事件にかかわった疑いで,2年の幽閉を命じられる。放免後は岡山県や香川県などを遍歴し漢学や歌を教えたが,不遇のうちに丸亀で没した。<著作>『和解女四書』『杞憂独語』(梶原竹軒編『若江薫子と其遺書』)
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報