若江薫子(読み)わかえ・におこ

朝日日本歴史人物事典 「若江薫子」の解説

若江薫子

没年:明治14.10.11(1881)
生年天保6(1835)
幕末・明治初期の漢学者,歌人。伏見家に仕える若江量長の子。秋蘭と号した。京都に生まれる。父から漢学,習字など厳格な教育を受け,千種有功らに和歌を学んだ。一条家の寿栄姫(後の昭憲皇太后)の侍読となり,皇后教育に当たる。しかし,強硬な遷都反対論,攘夷論により新政府に宮中入りを禁止され,また大村益次郎暗殺事件にかかわった疑いで,2年の幽閉を命じられる。放免後は岡山県や香川県などを遍歴し漢学や歌を教えたが,不遇のうちに丸亀で没した。<著作>『和解女四書』『杞憂独語』(梶原竹軒編『若江薫子と其遺書』)

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若江薫子」の解説

若江薫子 わかえ-におこ

1835-1881 幕末-明治時代の漢学者。
天保(てんぽう)6年生まれ。岩垣月洲にまなぶ。一条美子(はるこ)(のちの昭憲皇太后)の教導にあたり,入内後も歌道師範などをつとめた。西洋化をうれえ,しばしば建白書を提出したため,明治2年ごろ宮中への出入りをとめられた。明治14年10月11日死去。47歳。京都出身。通称は文。号は秋蘭。著作に「杞憂独語」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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