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若江薫子 わかえ におこ

美術人名辞典の解説

若江薫子

幕末・明治の勤王家、女流漢学者。京都生。名は薫子、号は秋蘭。岩垣月洲の門人。伏見宮家に仕えた修理大夫量長の娘。昭憲皇太后の養育に当る。また攘夷活動により幽閉されたこともある。著書に『和解女四女書』『杞憂独語』等がある。明治14年(1881)歿、47才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

若江薫子 わかえ-におこ

1835-1881 幕末-明治時代の漢学者。
天保(てんぽう)6年生まれ。岩垣月洲にまなぶ。一条美子(はるこ)(のちの昭憲皇太后)の教導にあたり,入内後も歌道師範などをつとめた。西洋化をうれえ,しばしば建白書を提出したため,明治2年ごろ宮中への出入りをとめられた。明治14年10月11日死去。47歳。京都出身。通称は文。号は秋蘭。著作に「杞憂独語」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

若江薫子

没年:明治14.10.11(1881)
生年:天保6(1835)
幕末・明治初期の漢学者,歌人。伏見家に仕える若江量長の子。秋蘭と号した。京都に生まれる。父から漢学,習字など厳格な教育を受け,千種有功らに和歌を学んだ。一条家の寿栄姫(後の昭憲皇太后)の侍読となり,皇后教育に当たる。しかし,強硬な遷都反対論,攘夷論により新政府に宮中入りを禁止され,また大村益次郎暗殺事件にかかわった疑いで,2年の幽閉を命じられる。放免後は岡山県や香川県などを遍歴し漢学や歌を教えたが,不遇のうちに丸亀で没した。<著作>『和解女四書』『杞憂独語』(梶原竹軒編『若江薫子と其遺書』)

(柴桂子)

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