苫米地村(読み)とまべちむら

日本歴史地名大系 「苫米地村」の解説

苫米地村
とまべちむら

[現在地名]福地村苫米地

八戸はちのへ城下(現八戸市)南西馬淵まべち川の中流左岸の河岸段丘に位置する。南端馬淵川が流れ、その北は比較的広い平坦面となる。東は高橋たかはし村、西は斗賀とが(現名川町)、南は福田ふくだ村、北は麦沢むぎさわ村に接する。建武元年(一三三四)八月の入道跡注文(遠野南部文書)

<資料は省略されています>

などとあり、南部師行によって年貢などの調査が行われた。建武新政以前当地は横溝氏の支配地であったとみられ、同年四月同氏の闕所地が師行の管理に移されている(「多田貞綱書状」同文書)。永禄一〇年(一五六七)頃と推定されている一〇月一六日付の南部晴政書状(同文書)に「四戸殿人馬別(苫米別地)ニ被立」、同月一六日付の東政勝書状案(同文書)に「昨日も四戸殿人馬別ニ被立馬候而」とあり、三戸南部氏の内紛時には軍勢出撃の要路とされている。天正(一五七三―九二)の頃には苫米地館に苫米地因幡が居館し、当地を支配していた。苫米地氏は関東管領上杉氏の末裔といわれ、当村に落延びてきた時南部信直に召出されて当村を給与され、苫米地と改姓したという(「参考諸家系図」岩手県盛岡市中央公民館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報