三戸通
さんのへどおり
盛岡藩の地方行政組織三三通の一つ。北は五戸通、南は福岡通(現岩手県北西部)、東は八戸藩領名久井通、西は毛馬内通(現秋田県北東部)に接する。現在の三戸郡田子町・三戸町・南部町の全域ならびに八戸市・岩手県二戸市のごく一部にあたる。設置年代は不明であるが、天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に三戸通とある。「南部史要」は通制の確立を享保二〇年(一七三五)のこととするが、雑書の承応元年(一六五二)一〇月一七日条に「三戸通御漆攪高木与五兵衛」とあるように通名は藩政初期から地域の通称名として使用されており、のち行政組織名に移行したものとみられる。治所の三戸代官所は三戸村に置かれ、代官二名が任命された。代官所の設置年代や代官の任命時期は不明であるが、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」などによれば貞享年間(一六八四―八八)頃といわれる。それ以前は三戸城代の統治下にあった。
「邦内郷村志」ならびに享和三年(一八〇三)の仮名付帳でみると管内の村は二戸郡一ヵ村、三戸郡三二ヵ村の合計三三ヵ村である。二戸郡は釜沢村(現二戸市)、三戸郡は関・夏坂・山口・茂市・遠瀬・杉本・石亀・道地・原・佐羽内・飯豊・白坂(白板)・田子・相米・種子・日野沢(現田子町)、斗内・豊川・川守田・貝森・袴田・蛇沼・目時・梅内・泉山(現三戸町)、大向・赤石・相内・玉懸(玉掛)・沖田面・小向(現南部町)、八幡(現八戸市)の各村。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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