茂平村(読み)もびらむら

日本歴史地名大系 「茂平村」の解説

茂平村
もびらむら

[現在地名]笠岡市茂平・西茂平にしもびら城見台しろみだい

おおげ村の南にあり、西は備後国野々浜ののはま(現広島県福山市)、南は海浜に面する。南東台地上にある八幡神社の境内から古墳中期の箱式石棺二基が出土した。

元和五年(一六一九)に備後福山藩領となり、元禄一二年(一六九九)以降は幕府領幕末に至ったと考えられる。寛永備中国絵図では「毛平村」とあり、高二〇七石余。正保郷帳に枝村として遠山村が載り、現在の銅山どうやまと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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