日本歴史地名大系 「茗荷瀬村」の解説 茗荷瀬村みようがせむら 山形県:東田川郡余目町茗荷瀬村[現在地名]余目町茗荷瀬払田(はらいだ)村の西にある。地名は茗荷が多く自生していたことに由来するとされる。寛永一七年(一六四〇)豊臣秀吉の旧臣加藤氏による開発と伝えられる。支配領主の変遷は町(まち)村と同じ。正保庄内絵図(本間美術館蔵)では名河瀬村とあり、高九石余。延享三年(一七四六)の狩川通大概手控帳(高橋文書)によると高四六三石余、うち畑高一九石余、免三ツ八分三厘、家数四二(百姓二六・水呑四・名子一一・山伏一)、人数二一二(男一二八・女八四)、馬三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報