日本歴史地名大系 「茱萸木新田」の解説 茱萸木新田くみのきしんでん 大阪府:南河内郡狭山町茱萸木新田[現在地名]狭山町茱萸木・大野台(おおのだい)一丁目今熊(いまくま)村の南、半田(はんだ)村の西にあり、ほぼ平坦地。北西から南東に延びる細長い村で、西高野街道が縦断する。元和九年(一六二三)大坂の渡辺新右衛門家次(号は善良)が茱萸木の平とよばれる芝地の開発を計画、寛永一八年(一六四一)錦部(にしごり)郡鬼住(おにずみ)村(現河内長野市)の上田喜太夫らが開発したという。この地方の新田では開発も早く規模も大きい。「河内志」に「胡頽子茱萸木村多産、因名村云」とあり、日本では胡頽子すなわちなわしろぐみと茱萸が同訓であることから生じた村名とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by