草苅散所(読み)くさかりのさんじよ

日本歴史地名大系 「草苅散所」の解説

草苅散所
くさかりのさんじよ

西成にしなり郡の南大道みなみだいどう村・北大道村・西大道村付近の淀川沿いに存在した摂関家の散所。「摂津志」「摂陽群談」などは、草苅里を南大道村に比定している。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)のなかに、「散所」として、よど(現京都市伏見区)山崎やまさき(現三島郡島本町)などとならび草苅の名がみえる。散所は散所雑色とよばれる住民のことで、摂関家に隷属し政所の支配をうけて雑役を奉仕するかわりに、他の課役を免除される特権をもった身分の者であった。草苅の散所雑色も、淀・山崎のばあいと同じく主要な任務は、淀川の水上運輸にたずさわり摂関家の物資などを輸送・保管することにあったとみてよい。淀・山崎の散所の活躍がすでに平安末期頃には盛んである点からみて、草苅散所の成立もその時期までさかのぼるものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報