朝日日本歴史人物事典 「草野又六」の解説
草野又六
生年:延宝6(1678)
江戸中期,久留米藩士,地方巧者(治水土木工事の巧みな役人)。名は実秋。筑後国山本郡蜷川村(久留米市)の農民鹿毛宗五郎の次男。のち同郡小山田村の農民草野五左衛門の養子。士分抜擢後の正徳2(1712)年,かねてから御井郡鏡村(福岡県三井郡北野町)庄屋高山六右衛門らによって,水不足解消のため要求の出されていた,筑後川北岸の竹野郡床島村(同郡大刀洗町)―恵利村(浮羽郡田主丸町)間の用水路掘削工事,およびその延長工事を指揮,同4年,完成させた。水勢が強く難工事であったが,石を満載した数隻の船を一気に沈め水勢を抑えるなど工夫して切り抜けた。これにより田畑約2000haが潤ったという。ただ工事に際しては,洪水を恐れた筑前(福岡藩)側の村々の抵抗があった。<参考文献>『床島用水沿革史』,『江戸時代人づくり風土記・福岡』
(井奥成彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報