朝日日本歴史人物事典 「荻野元凱」の解説
荻野元凱
生年:元文2.10.27(1737.11.19)
江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原,左中,在中,号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ,京都の奥村良筑 から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し,医名を高めた。朝廷からも認められ,39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり,瘟疫論を講じたが,間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し,その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ,翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが,解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,杉立義一『京の医史跡探訪』
(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報