莚田庄(読み)むしろだのしよう

日本歴史地名大系 「莚田庄」の解説

莚田庄
むしろだのしよう

席田庄とも記し、古代の席田むしろだ郡の郡名を負う、現糸貫町東部一帯から北方きたがた町にかけて散在した庄園。建武三年(一三三六)七月日の足利尊氏袖判下文(土岐文書)に莚田庄とみえ、地頭職勲功の賞として土岐頼実に与えられ、その後土岐石谷氏久―光久―敦久―頼久―孫九郎へと土岐一族である室町幕府奉公衆の石谷氏に相伝された(寛正五年一〇月一六日「足利義政御教書案」同文書など)。なお寛治四年(一〇九〇)七月一三日、京都下賀茂社(鴨御祖社)御供田として「席田庄公田十五町」などが寄進された(「賀茂社古代庄園御厨」賀茂神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む