菅野神社(読み)すがのじんじや

日本歴史地名大系 「菅野神社」の解説

菅野神社
すがのじんじや

[現在地名]大垣市興福地町

近鉄養老線東赤坂ひがしあかさか駅の南、菅野川沿いに位置する旧郷社祭神は木造文官神像二体で奈良時代の勧請と伝える。「新撰美濃志」は「新撰姓氏録」に「菅野朝臣、同国(百済)都慕王十世孫貴首王之後也」とされるその氏人が美濃国に住んで祖神を祀った社とする。「美濃明細記」によれば、現大垣市域の笠木かさぎ池尻いけじり青木あおき笠縫かさぬい中川なかがわ(南方)興福寺こうふくじ河間がま中野なかの曾根そね北方きたがた領家りようけ各村と現安八郡神戸ごうど町域の加納かのう村・中沢なかざわ(中村)の「中川庄十三ケ村の惣社」とされており、応永一三年(一四〇六)六月三(五)日には土岐康政が鰐口を寄進、奈良春日社の遷社とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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