菊万庄(読み)きくまのしよう

日本歴史地名大系 「菊万庄」の解説

菊万庄
きくまのしよう

伊予国野間のま郡にあった京都上賀茂かみがも神社の荘園。現菊間町に含まれるはま長坂ながさか高田こうだ西山にしやま中川なかのかわ川上かわかみ河内かわのうち松尾まつお池原いけのはらの九ヵ村、すなわち近世に菊間郷とよばれた地域を荘域としていたものと推定される。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝の下文案(賀茂別雷神社文書)に荘名がみられる。これより先、寛治四年(一〇九〇)七月一三日に堀河天皇が賀茂上下社へ不輸租田それぞれ六〇〇余町を寄進、供料田にしているが(百錬抄)、この時に菊万庄が上賀茂社領となったものと思われる。当荘は弘長二年(一二六二)九月五日の後嵯峨上皇院宣(賀茂神社文書)によって若狭国宮河庄とともに別納地として神主氏久に宛給せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む