宮河庄(読み)みやかわのしよう

日本歴史地名大系 「宮河庄」の解説

宮河庄
みやかわのしよう

婦負郡・新川にいかわ郡にあった徳大寺家領の庄園。近世の婦負郡宮川みやかわ郷一三村(現婦中町)新川郡宮川郷二七村(現富山市・大沢野町)は神通川の流路の変化により分断される以前は宮河として一帯であったと考えられる(「三州志」など)中世の具体的な庄域は未詳であるが、現新潟県小千谷おぢや市の魚沼うおぬま神社所蔵の大般若経には至徳二年(一三八五)一〇月六日付奥書として「婦負郡宮川荘押上」とあるのをはじめ、同四年五月二二日付には「宮河荘新保」、嘉慶二年(一三八八)五月付には「婦負郡宮河荘鵜坂社」などとあり、少なくとも一部は現婦中ふちゆう町の神通川右岸および対岸の富山市域の熊野くまの川に挟まれた一帯に比定される。徳大寺家領としては文和三年(一三五四)一二月二三日の足利義詮御判御教書案(徳大寺家文書、以下断りのない限り同文書)に宮河庄とみえるのが早く、現地庄官たる鵜坂うさか(現婦中町)の訴えにより同庄の守護使不入権が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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