20世紀日本人名事典 「菊地東陽」の解説 菊地 東陽キクチ トウヨウ 大正・昭和期の実業家 オリエンタル写真工業社長。 生年明治16(1883)年2月4日 没年昭和14(1939)年4月5日 出生地山形県 本名菊地 学治 経歴祖父は東北地方で最初の写真館を開いた写真師・菊地新学。明治31年東京銀座の写真館で技術を習い、日本各地で修業、18歳で家業の写真館を継いだ。37年渡米。大正7年感光性乳剤の製造に成功、8年帰国してオリエンタル写真工業を創立し、取締役技師長となった。10年人像用印画紙の国産に成功、「オリエント」と名づけて販売。昭和4年社長となり、印画紙、乾板、フィルムの3本建製造販売態勢を確立した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊地東陽」の解説 菊地東陽 きくち-とうよう 1883-1939 大正-昭和時代前期の実業家。明治16年2月4日生まれ。菊地新学の孫。家業の写真館をつぐ。明治37年渡米し,大正7年写真感光乳剤の開発に成功。翌年帰国しオリエンタル写真工業を創立,取締役技師長。10年国産初の人像用印画紙を製造・販売し,昭和4年社長となった。昭和14年4月5日死去。57歳。山形県出身。本名は学治。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例