20世紀日本人名事典 「菊岡久利」の解説
菊岡 久利
キクオカ クリ
- 生年
- 明治42(1909)年3月8日
- 没年
- 昭和45(1970)年4月22日
- 出生地
- 青森県弘前市
- 本名
- 高木 陸奥男(タカギ ミチノクオ)
- 別名
- 別号=鷹樹 寿之介
- 学歴〔年〕
- 海城中学〔大正14年〕中退,第一外国語学校ロシア語科卒
- 経歴
- 中学在学中、尾崎喜八らの「海」創刊に参加、昭和2年新居格らと「リベルテール」を創刊した。千家元麿に師事、アナーキストグループに加わり、秋田鉱山争議などに活躍、自ら「豚箱生活30回」と称する生活を送った。社会正義に燃える詩を叙事的発想で書き、11年詩集「貧時交」、13年「時の玩具」を、また詩文集「見える天使」などで才能を示した。のちムーラン・ルージュ脚本部の時、戯曲「野鴨は野鴨」を書き上演された。画家としても知られる。戦後23年高見順らと「日本未来派」を創刊、小説も書き「銀座八丁」「ノンコのころ」などを刊行、のちラジオ東京、大映に勤めた。菊岡久利の筆名は横光利一にもらった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報