千家元麿(読み)センゲモトマロ

デジタル大辞泉 「千家元麿」の意味・読み・例文・類語

せんげ‐もとまろ【千家元麿】

[1888~1948]詩人東京の生まれ。尊福たかとみの子。武者小路実篤むしゃのこうじさねあつと交わり白樺派に属した。人間自然への賛美を素朴にうたった人道主義的な詩人として知られる。詩集自分は見た」「」など。

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精選版 日本国語大辞典 「千家元麿」の意味・読み・例文・類語

せんけ‐もとまろ【千家元麿】

  1. 詩人。東京出身。尊福の子。白樺派の一人武者小路実篤の影響下に、人道主義に根ざした詩を発表した。詩集「自分は見た」、長編叙事詩「昔の家」、随筆集「詩、美、自然」など。明治二一~昭和二三年(一八八八‐一九四八

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20世紀日本人名事典 「千家元麿」の解説

千家 元麿
センゲ モトマロ

大正・昭和期の詩人



生年
明治21(1888)年6月8日

没年
昭和23(1948)年3月14日

出生地
東京府麴町区(現・東京都千代田区)

別名
号=銀箭峰,暮郎

学歴〔年〕
東京府立四中中退

経歴
17歳の頃から「万朝報」「新潮」などに短歌や俳句を投稿し、詩は河合酔茗に、短歌は窪田空穂に、俳句は佐藤紅緑に師事する。大正元年同人誌「テラコツタ」を創刊。白樺派と交流し、「白樺」の衛星誌「エゴ」「貧しき者」「生命の川」などに小説「罪」や戯曲「結婚の敵」などを発表。5年頃から詩作に専念し、7年第一詩集「自分は見た」を刊行。続いて「虹」「野天の光」「夜の河」「夏草」「昔の家」などの詩集をあいついで刊行し、白樺派の代表的詩人となる。昭和4年約半年療養生活を送り、退院後も約10年外出もせず、その間「霰」「蒼海詩集」などを刊行した。また没後「千家元麿詩集」「千家元麿全集」(上下 弥生書房)が刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「千家元麿」の意味・わかりやすい解説

千家元麿
せんげもとまろ
(1888―1948)

詩人。東京の生まれ。父尊福(たかとみ)は出雲(いずも)大社の宮司、のち東京府知事。母は父の妾(めかけ)で両国の料亭の娘小川豊。中学時代学校を転々、暮郎(ぼろう)、銀箭峰(ぎんせんぽう)などの号を用いて詩や短歌や俳句を投稿。福士幸次郎佐藤惣之助(そうのすけ)らと同人誌『テラコツタ』を出し、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の『世間知らず』を称賛、『白樺(しらかば)』同人と交流した。1913年(大正2)父の反対を押し切り赤沢千代子と結婚。『白樺』の衛星誌『エゴ』を推進。18年、第一詩集『自分は見た』(岸田劉生(りゅうせい)の装丁)を刊行。無垢(むく)の心と庶民性と楽天性とが一致、貧困のなかでも人間と自然への賛美を失わず、「楽園の詩人」として徹底した生涯を送った。『虹(にじ)』(1919)、『昔の家』(1929)、『霰(あられ)』(1931)、『蒼海(そうかい)詩集』(1936)などの詩集がある。

紅野敏郎

『『千家元麿全集』全二巻(1964、65・弥生書房)』『耕治人著『詩人千家元麿』(1957・弥生書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「千家元麿」の意味・わかりやすい解説

千家元麿 (せんげもとまろ)
生没年:1888-1948(明治21-昭和23)

詩人。東京都生れ。父尊福(たかとみ)は〈年の始めのためしとて〉で始まる唱歌《一月一日》の作者で,男爵。17歳ごろから《万朝報》《電報新聞》などの文芸欄に詩,短歌,俳句を投稿した。1912年に佐藤惣之助らと同人雑誌《テラコッタ》を創刊し,武者小路実篤をはじめとする《白樺》系の人たちと交わるようになり,小説,戯曲をも書いたが,16年ごろから詩作に専念するようになった。第1詩集《自分は見た》(1918)に庶民的な生活感情をうたいあげた平明な口語自由詩を収めたが,そこに見られる人道主義の詩精神は以後の詩にも貫かれており,戦後の不如意にもひるまなかった。《虹》(1919),《昔の家》(1929)などの詩集のほか,小説・戯曲集《青い枝》(1920)や随筆集の著書もある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「千家元麿」の意味・わかりやすい解説

千家元麿【せんげもとまろ】

詩人。東京生れ。出雲大社大宮司千家尊福(たかとみ)の子。短歌を窪田空穂に,俳句を佐藤紅緑に学ぶ。1913年ごろから武者小路実篤らと交わり,白樺派の詩人として注目された。詩集に《自分は見た》《虹》などがあり,詩風は素朴で明るい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千家元麿」の意味・わかりやすい解説

千家元麿
せんげもとまろ

[生]1888.6.8. 東京
[没]1948.3.14. 東京
詩人。男爵千家尊福 (たかとみ) の庶子として生れ,青春時代放浪の日を過した。武者小路実篤を知り,その人道主義に傾倒し,『白樺』に同人として参加。詩集『自分は見た』 (1918) ,『虹』 (19) ,『夏草』 (26) ,『蒼海詩集』 (36) などにより,『白樺』派の代表詩人と目された。庶民の日常生活をヒューマニズムに満ちた素朴な愛とともにうたい,情熱を秘めた平明さのなかに特色がある。晩年は長男の戦死に続いて妻を失い,失意と貧窮のうちに世を去った。ほかに長編叙事詩『昔の家』 (29) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千家元麿」の解説

千家元麿 せんげ-もとまろ

1888-1948 大正-昭和時代の詩人。
明治21年6月8日生まれ。千家尊福(たかとみ)の子。母は画家小川豊。白樺(しらかば)派の作家とまじわる。大正7年第1詩集「自分は見た」を刊行。平易な口語による人道主義的な作品を発表した。昭和23年3月14日死去。61歳。東京出身。小説・戯曲集に「青い枝」。

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367日誕生日大事典 「千家元麿」の解説

千家 元麿 (せんけ もとまろ)

生年月日:1888年6月8日
大正時代;昭和時代の詩人
1948年没

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