菊池徳子(読み)きくち・とくこ

朝日日本歴史人物事典 「菊池徳子」の解説

菊池徳子

没年:明治22.2.6(1889)
生年:文化13(1816)
江戸後期の侠客国定忠治ゆかりの女性。通称五目牛のとく。上野国(群馬県)群馬郡有馬村の生まれ。父は小農一倉佐兵衛。天保8(1837)年忠治の子分で上野国五目牛村の菊池千代松に見染められ,月雇女となり,3年後女房となった。強い性格と読み書き算用に長じた経営の才をもって家産を増殖。弘化3(1846)年の千代松の死後,忠治と出会い,逃亡資金を工面したり中風の忠治を看病したりするなど物心両面の支援者となった。嘉永3(1850)年忠治捕縛の際,自らも捕らえられるが,釈放後は忠治の最期を見届けるべく献身する。磔死(1851)後の忠治の遺体をひそかに持ち帰って供養し,善応寺(伊勢崎市)に「情深墳」を建立した。五目牛の自宅で没した。義甥の菊池作次郎(1855~78)は明治11(1878)年,近衛兵叛乱竹橋事件」に参画し銃殺刑に処せられている。

(高橋敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池徳子」の解説

菊池徳子 きくち-とくこ

1816-1889 江戸時代後期の女性。
文化13年生まれ。国定忠次の子分,上野(こうずけ)(群馬県)五目牛村(ごめうしむら)の菊池千代松の妻。夫の死後忠次とであい,その逃亡生活をたすける。嘉永(かえい)3年忠次が刑死すると片腕をもちかえり,伊勢崎の善応寺に「情深墳(じょうしんづか)」をたてて供養した。明治22年2月6日死去。74歳。通称は五目牛のとく。

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