葛原牧(読み)つなはらのまき

改訂新版 世界大百科事典 「葛原牧」の意味・わかりやすい解説

葛原牧 (つなはらのまき)

平安後期から中世にかけて下総国香取郡(現,千葉県香取市北部付近)にあった牧。牧としての本来の所属関係は明らかでない。早くから牧内の一部が荘園化し,牧南部に織幡村(現香取市,旧小見川町),北部に小野村が成立した。織幡村の境界は,東は海上郡木内堺,南は千田郡二重堀,西は福田・相根堺,北は太田・吉原・大畠堺であった。先祖豊郷以来,代々香取神宮大禰宜家大中臣氏の所領で,神役を務めていたが,保元の乱直前の1156年(保元1)6月,常陸の鹿島社大禰宜則近が左大臣藤原頼長家の命と称し,両村の押領を企てた。乱後,大中臣惟房は本所である関白藤原忠通に訴え,両村の領有を回復する。その後もしばしば両村の知行のことが紛糾し,摂関家政所,のちには幕府から裁決が下っている。
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