葭津村(読み)よしづむら

日本歴史地名大系 「葭津村」の解説

葭津村
よしづむら

[現在地名]米子市葭津

大崎おおさき村の北西にあり、南は中海に面する。吉津よしづとも書かれ、万治二年(一六五九)民家九戸があったとされる(伯耆志)。開発の時期は近世初期とみられる。万延元年(一八六〇)の当村からの上申書(崎津村史)によると、かつてわたり(現境港市)境から当村辺りまでの内潟通は麦垣むぎかき分と総称されていた。流浪中の讃岐高松たかまつ(現香川県高松市)出身の浪人善左衛門(阿川氏)と多郎兵衛(石橋氏)はこの辺りを見立てて畑の開作を試み、米子の町人数名から出資を受け、その下作人というかたちで開発を始めた。次いで出雲国東部から松本・渡部・友森・長谷川各氏の先祖、浪人していた山口・安田両氏の先祖が開発に加わったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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