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蒔田広定 まいた ひろさだ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蒔田広定 まいた-ひろさだ

1571-1636 織豊-江戸時代前期の大名。
元亀(げんき)2年生まれ。蒔田広光(ひろみつ)の次男。豊臣秀吉につかえ,伊勢(いせ)(三重県)雲出(くもず)に1万石を領する。関ケ原の戦いで西軍につき,戦後高野山に蟄居(ちっきょ)したが,徳川家康にゆるされ,慶長10年ごろ備中(びっちゅう)(岡山県)浅尾藩主蒔田家初代となる。1万16石。寛永13年8月23日死去。66歳。

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世界大百科事典内の蒔田広定の言及

【備中国】より

… 関ヶ原の戦直後に立藩したものに浅尾,足守,庭瀬の諸藩がある。浅尾藩は賀陽郡浅尾(総社市)に陣屋をもつ1万石の外様小藩で,1600年新封された蒔田(まいた)広定が初代藩主で,2代以降は分知して旗本となり,1863年(文久3)広孝のとき1万石に高直しされて諸侯に列して立藩した。なお蒔田氏は参勤交代をしない定府大名である。…

【蒔田氏】より

…近世大名,旗本。尾張国の出身。広定は豊臣氏に仕え,1万石を領有。関ヶ原の戦で西軍に加わったため一時除封されるが,のち備中浅尾1万余石を付与される。しかし1636年(寛永13),定正は分知により知行8310石余の旗本となる。その子定行以降は7700石余を知行。1863年(文久3)に至り,広孝は江戸市中警衛の功により1万石に高直しされ,大名に復帰。維新後は子爵。【大森 映子】…

※「蒔田広定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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