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安土(あづち)桃山時代の武将、キリシタン大名。大和(やまと)国(奈良県)沢城主高山飛騨守(ひだのかみ)図書(ずしょ)(?―1596)の長子。摂津(大阪府)高山に生まれる。幼名彦五郎。友祥(ともなが)、長房と称し、右近允(うこんのじょう)を名のる。飛騨守は初めキリシタン宗の撲滅を図ったが、かえって入信。右近も1564年(永禄7)受洗。霊名(れいめい)ジュスト。1568年和田惟政(わだこれまさ)(1530―1571)に従い摂津国高槻(たかつき)を預ったが、1571年(元亀2)荒木村重(あらきむらしげ)が和田氏を討ち、1573年(天正1)右近は村重の下に高槻城主となった。1578年村重が織田信長に叛(はん)した際、右近は和平工作を進めたが、信長はパードレ(伴天連(バテレン))らを軟禁、右近に帰順を迫った。質を荒木氏に送っていた彼はキリシタン教会の危機を救うため、出家の決意で信長のもとに赴いたが、かえって高槻領を安堵(あんど)され、教会も平穏を保つことができた。本能寺の変には山崎合戦に先陣。その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に従い各地に転戦、武功をたて、1585年明石(あかし)6万石に封ぜられた。その間、高槻はじめ安土、京都、大坂などの教会を援助。領内にセミナリオ(神学校)や慈善事業をおこすなど、キリシタンの指導的人物として仰がれた。小西行長(こにしゆきなが)、黒田孝高(くろだよしたか)父子などキリシタン大名の過半は、直接間接彼が信仰に導いたものである。
1587年7月、伴天連追放令に伴い、キリシタンの代表的人物として除封されたが、行長ついで前田利家(まえだとしいえ)の保護を受け、加賀藩の客老となり藩政にも参与、また金沢城修築、高岡城築造にあたった。千利休(せんのりきゅう)門下の茶人としても知られ、南坊(みなみのぼう)、等伯(とうはく)と号した。1614年(慶長19)幕府の禁教発令に伴いマニラに追放されたが、40日ほどで熱病に冒され、1615年2月3日(慶長20年正月6日)殉教の死を遂げた。マニラは市をあげて信仰の勇者をたたえ、9日間にわたり盛大なミサを執行した。
[海老沢有道 2018年3月19日]
『海老沢有道著『高山右近』(1958/新装版・1989・吉川弘文館)』
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(片岡千鶴子)
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キリシタン大名。茶人で利休七哲の一人。幼名を彦五郎,のち友祥(ともなが),長房。右近大夫。洗礼名ジュスト。南坊等伯とも称した。摂津高山に飛驒守の長男として生まれ,1564年(永禄7)に受洗した。73年(天正1)高槻城主となり,荒木村重に属したが,78年村重が織田信長に反すると信長に仕え,4万石を得た。82年山崎合戦では豊臣秀吉に属し,のち紀州根来(ねごろ)征伐,四国征伐に参加し,85年明石7万石を得た。この間,高槻,京都,安土などで教会堂の建設,領民の改宗に尽くし,小西行長,黒田孝高,蒲生氏郷など有力武将をキリスト教に導いた。87年秀吉の伴天連追放令発布のさい,信仰ゆえに除封され,加賀前田利家の下に身を寄せ,1万5000石を得た。1614年(慶長19)徳川家康のキリスト教禁令によってマニラに追放され,到着後わずか40日で没した。信仰一筋の生涯は信者の模範とされている。
執筆者:岸野 久
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1552~1615.2.5
織豊期の武将。図書の長男。名は友祥(ともなが)・長房,通称は右近・右近允。利休七哲の1人で南坊等白の号があり,キリシタン大名として著名。洗礼名ジュスト。1573年(天正元)摂津国高槻城主となり,78年荒木村重の乱で織田信長にそむいたが,オルガンティーノの勧告で降り,高槻4万石を安堵。信長の死後は豊臣秀吉に仕え,85年播磨国明石城主6万石。87年6月のバテレン追放令で改易。その後小西行長や前田利家・同利長らの保護をうけ,小田原攻めや関ケ原の戦に参陣。1614年(慶長19)禁教令によりマニラへ追放。翌年同地で病没。
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…播磨国明石郡明石を城地とした譜代中藩。1585年(天正13)キリシタン大名高山右近友祥(ともなが)6万石が高槻から入封したが,87年追放された。当時の城地は明石川河口右岸の船上(ふなげ)城であった。…
…畿内の武将は人間を超絶した唯一神の存在を知って転換期の現実生活における不安を克服した。八木城主内藤如安(ジョアン)は失脚後,小西行長(アウグスティノ)の部将となり1614年(慶長19)高山右近とともにマニラに追放された。右近は熱心に信仰を説き,蒲生氏郷(レオン),黒田孝高(よしたか)(シメオン),牧村政治らを改宗させた。…
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