改訂新版 世界大百科事典 「佐々木秀義」の意味・わかりやすい解説
佐々木秀義 (ささきひでよし)
生没年:1112-84(天永3-元暦1)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…清和源氏の勢力が伸びてくると佐々貴氏は源為義に結びつき,宇多源氏系は為義の子義朝と結んだ。保元・平治の乱に宇多源氏系は義朝に従ったが,平治の乱で義朝が敗れると佐々木秀義は平氏に佐々木荘を奪われて坂東に下り,相模の渋谷氏の庇護を受けた。1180年(治承4)義朝の子の頼朝が平氏打倒の兵を挙げると,秀義は子息たちとともに頼朝を助けて勲功を挙げ,本領佐々木荘を安堵されたうえ,その5人の子息は十数ヵ国の守護に任ぜられた。…
※「佐々木秀義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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