サンフランシスコ(読み)さんふらんしすこ(英語表記)San Francisco

翻訳|San Francisco

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンフランシスコ」の意味・わかりやすい解説

サンフランシスコ
さんふらんしすこ
San Francisco

アメリカ合衆国カリフォルニア州北部の中心都市。人口77万6733(2000)。太平洋とサンフランシスコ湾、その間に開く幅1.6キロメートルのゴールデン・ゲート海峡と、三方を海に囲まれた半島の先端に位置し、湾に面した海岸に埠頭(ふとう)が並ぶ天然の良港として発達した。

 現在は合衆国西部の行政・金融・交易・文化の中心地であるとともに、年間200万人が訪れる国際観光都市でもある。平均気温は1月が9.8℃、7月が17.3℃と寒暖の差が少なく、さわやかな地中海式気候に恵まれ、美しい都市景観とともに合衆国でももっとも魅力的な都市といわれる。市域は起伏に富み、40もの丘がある。都心もノッブ・ヒル、ルシアン・ヒルの二つの丘(海抜約110メートル)に展開し、急傾斜の街路を走るケーブルカー(3路線16キロメートル)は有名である。太平洋岸を南下するカリフォルニア寒流の上を偏西風が吹き込むと霧が発生し、ゴールデン・ゲート橋を包んで市の西部を覆うため、霧のサンフランシスコとしても知られる。

 金融都市として知られ、銀行としては世界最大級のバンク・オブ・アメリカの本拠地でもあり、市の中心のモンゴメリー街は西のウォール街と称される。工業では食品加工、ファッション製品、金属加工、印刷・出版などが盛んで、市内には約1500の工場がある。また、サンフランシスコ大学(1855創立)を中心とする文教都市でもある。

 面積は121平方キロメートル(海などウォーターエリアを入れると601平方キロメートル)と狭いが、対岸のオークランド市、バークリー市などを含む大都市圏域は7475平方キロメートルで、4本の橋と高速道路、高速鉄道網(BART(バート) Bay Area Rapid Transit)で結ばれている。BARTは、1974年に完成した海底トンネルで対岸と結んだ、営業路線114キロメートルの公共鉄道で、湾岸地域の一体的発展に貢献している。

 ピラミッド型をしたトランスアメリカ・ビル(260メートル)、世界最大のチャイナタウン、海の香り豊かなフィッシャーマンズ・ワーフ、ケーブルカー博物館、ゴールデン・ゲート公園、ジャパン・センター、市街を一望に見下ろすテレグラフ・ヒルのコイト・タワー、日米講和条約が結ばれたオペラ・ハウスなどが、観光対象としてあげられる。市内見物はケーブルカーが楽しく、市外へはBARTの周遊切符が安価で便利である。湾内に浮かぶアルカトラズ島は、速い潮流と冷たい海水に囲まれているため、刑務所として利用され、アル・カポネなどが収容されたこともある。現在は公開され、フェリーが往復する。

[伊藤達雄]

歴史

1769年、スペイン王の命を受けたガスパー・デ・ポートラGaspar de Portolá(1723ころ―1784ころ)は伝道士と兵士を率い、サン・ディエゴを経てサンフランシスコ港に入った。以後植民の試みがなされ、1776年には要塞(ようさい)と伝道区が設置され、その地はイエバ・ブエナYerba Buenaとよばれた。他方、ロシア帝国は、毛皮交換の基地として1812年この近郊にフォート・ロスを建設した。1822年メキシコ共和国の独立によりメキシコ領となるが、1846年には合衆国海軍提督ジョン・フリーモントJohn Freemontの蜂起(ほうき)により「ベア・フラッグ」(今日の州旗)が掲げられ、のちにモントゴメリー提督により占領された。1847年、現名称に改名。このころ金鉱脈発見により人口が急増した。1850年市制施行。1869年の大陸横断鉄道の完成により西部の中心的商業都市へと発展した。1906年、1989年の大地震では莫大(ばくだい)な被害を受けた。

[庄司啓一]


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改訂新版 世界大百科事典 「サンフランシスコ」の意味・わかりやすい解説

サンフランシスコ
San Francisco

アメリカ合衆国カリフォルニア州中部の大都市。太平洋岸最大の良港で,市の北に架けられているゴールデン・ゲート橋は,アメリカ大陸とアジアとを結ぶ門として象徴的である。人口74万(全米13位,2004),オークランド,サノゼ,バークリーなどを含む大都市域人口は641万(1992)という人口密集地域であるが,この町の発展の歴史はきわめて浅い。

 ゴールデン・ゲート海峡は非常に狭く,しかも霧で覆われていることが多いので,16世紀に航海してきたイギリスやスペインの探検家たちは,この海峡を発見できなかった。1769年に南のサン・ディエゴから陸路北上してきたスペイン探検隊が,天然の良港になっている広い湾(サンフランシスコ湾)と入口の狭い海峡を発見し,76年には海峡に面した地点にスペイン人が砦をつくり,同年その少し南にカトリック伝道所を建設した。その周辺にしだいに家が建つようになったのが,サンフランシスコの起源である。1821年のメキシコ独立後その領有となり,以来ニューイングランドを基地にしたアジア貿易や太平洋上の捕鯨にとって,絶好の中継地となった。46年にアメリカとメキシコの戦争が始まったとき,人口約800人だったが,48年戦争終了とともにアメリカ領となり,東のシエラ・ネバダ山中に金鉱が発見されてゴールドラッシュが始まると,51年には人口が一挙に1万を突破し,このため治安が悪化して自警団が組織された。ゴールドラッシュの波が去ると,60年代後半には大陸横断鉄道の建設という大事業の根拠地となり,労働力として多くの中国人が入国して70年代末までにチャイナ・タウンができている。73年にA.S.ハリディーが導入したケーブルカーは坂道の多い町の交通機関として計画されたもので,以来町の名物となって今日にいたった。日本人移民もこのころからしだいに増加し,91年には全米最初の日本人会が設立された。しかし1906年に襲った大地震のあと,日本人学童を別の学校に隔離した問題から,排日運動が表面化した。

 大地震から立ち直って〈不死鳥phoenix〉を市のシンボルマークとし,14年のパナマ運河開通以来ますますその重要性を増した。36年には湾の対岸オークランドとを結ぶ橋San Francisco-Oakland Bay Bridgeが,翌37年にはゴールデン・ゲート橋がそれぞれ完成し,さらに72年には湾周辺地帯を結ぶ交通機関BART(バート)(正称Bay Area Rapid Transit)も実現,一大人口地帯を形成することになった。いまこの町は東西貿易の要衝であるばかりでなく,アメリカ西部全体の金融の中心として知られ,ダウンタウンにはバンク・オブ・アメリカの本社をはじめ金融・貿易会社が集中して高層ビルが林立し,新しい時代を象徴する都市としての評価を確立した。美しい自然と四季を通じての温和な気候(年平均気温13.8℃),さらにスペイン系,中国系,日系などの多様な文化の融合など,この町の魅力は実に豊富なので,年間を通じて観光客が絶えない。さらに全米に先がけて新しい生活様式,新しい価値観がここから生まれることが多く,1950年代のビートニック,60年代のヒッピー,バークリーの大学紛争,オークランドのブラック・パンサー党の結成,70年代の性の解放など,この町の空気の自由さを雄弁に物語っている。
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百科事典マイペディア 「サンフランシスコ」の意味・わかりやすい解説

サンフランシスコ

米国,カリフォルニア州,太平洋岸の港湾都市。市街はサンフランシスコ湾と太平洋の間の細長い半島の北端にあり,北はゴールデン・ゲート橋で対岸のマリン半島と,東はベイ・ブリッジでオークランドなどと連絡する。米国太平洋岸屈指の貿易港で,小麦,果物,米,綿花,石油を輸出,砂糖,茶などを輸入。機械・食品加工・造船・製油工業が行われる。対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)調印の地。1776年創設。1848年米墨戦争終了とともに米国領となり,1851年ゴールドラッシュで人口が急増した。1860年代には大陸横断鉄道建設のため多くの中国人移民が流入し,チャイナ・タウンを建設。このころ日本人移民も増加した。文化的に多様な都市で1950年代のビート運動,1960年代のヒッピー・ムーブメント,1970年代の性革命,それ以降のレズビアン・ゲイ解放運動などの中心地。1906年と1989年に大地震に見舞われた。81万2538人(2012)。
→関連項目オークランド(アメリカ)トランスアメリカ・ピラミッドバークリーミルク

サン・フランシスコ[川]【サンフランシスコ】

ブラジル高原南部の大河。ミナス・ジェライス州南部に発して北流,バイア州の西部を貫流し,東に転じてバイアとペルナンブコ州境を流れて大西洋に注ぐ。全長2900km。〈国家統一の川〉と呼ばれている。上流部は鉄鉱など鉱産資源に富む。急流,滝が多いが,古くから交通に利用され,近年電力開発が進んでいる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンフランシスコ」の意味・わかりやすい解説

サンフランシスコ
San Francisco

アメリカ合衆国,カリフォルニア州中部の港湾都市。太平洋とサンフランシスコ湾の間にある半島の北端部に位置する。 1776年にスペイン人により入植地が定められた。 1835年にサンフランシスコ湾に港が開かれ,港町として発展。 46年にアメリカ=メキシコ戦争が勃発すると,合衆国はこの地を占領し,47年にサンフランシスコと命名,50年には合衆国に編入。 1847年にカリフォルニア北部で金鉱が発見されると,ゴールド・ラッシュで人口が急増した。特に 59年,ネバダ州での銀山の発見により,3億ドルの資金が市内に流れ,銀行が栄え,活況を呈した。それにつれて居住者がふえ,安定した発展がみられた。歌劇場,レストラン,ホテルなどが建設されたが,1906年のサンフランシスコ大地震で大半が崩壊,焼失した。その後の復興はめざましく,太平洋岸の文化,経済の中心として国際的な大都市となった。第2次世界大戦中は,数十万人の軍人,軍属がこの町を通過し,約 50万人がこの町で軍需産業に従事した。戦後は都市化,工業化が進み,港湾は隣接港を含めて,アメリカ合衆国有数の規模をもつ。特に日本からの輸入が多い。海洋性の温和な気候に恵まれ,1月の平均気温 9.2℃,9月の平均気温 17.7℃,年降水量 475mmで,比較的乾燥している。大気汚染など大都市共通の環境悪化がみられる。産業はサービス産業が卓越し,金融と国際貿易の中心地になっているほか,シリコンバレーでの半導体生産などエレクトロニクス産業が盛んで,食品加工,印刷なども発達。サンフランシスコ,オークランドの2つの国際空港をもつ。サンフランシスコ州立大学,サンフランシスコ大学など文教施設も多い。中国人,日本人,フィリピン人など東洋系住民が多く,「チャイナタウン」や「日本人町」は,よく知られている。下町の中心ともいえるユニオン・スクエア,アメリカ西部の心臓部である金融街,行政の中心シビック・センターなどが都心部を占める。金門海峡をまたいで北のマリン郡にかかる大吊橋ゴールデンゲート橋は,橋の形の美しさとともに夕暮どきの眺望のすばらしさで有名。人口 80万5235(2010)。

サンフランシスコ
San Francisco

アルゼンチン中北部,コルドバ州東部の都市。州都コルドバの東約 200km,サンタフェ州との州境にある。 1886年建設。パンパスと呼ばれる広大な温帯草原の北西部に広がる農牧地帯の商工業中心地で,穀物,アマ,家畜などを集散し,アマニ油,皮革・製靴,乳製品,冷凍肉,農業器具,バッテリーなどの工業がある。鉄道,道路の分岐点で,コルドバ,ロサリオ,サンタフェなどと連絡。人口5万 1932 (1980) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サンフランシスコ」の解説

サンフランシスコ
San Francisco

カリフォルニア州の主要な都市の一つで,カリフォルニアでの金の発見後,急速に発展した。良港に恵まれ大陸横断鉄道開通後は,アメリカとアジアを結ぶ都市となった。1776年にスペイン人がこの地に聖フランシスコの名を冠した伝道所を設けたのが地名の起源である。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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