日本歴史地名大系 「蔵縄手村」の解説 蔵縄手村くらなわてむら 三重県:上野市蔵縄手村[現在地名]上野市蔵縄手界外(かいげ)村・菖蒲池(しようぶいけ)村の南。貞享三年(一六八六)内検を改め、本高二一七・〇五七石、平高五四六石でうち葛原半太夫外二名の給地一五三石余。寛延(一七四八―五一)頃の戸数三〇、人口一四五、馬三で、社寺は吉田(きつた)祠・諏訪・住吉合祀・末社八座、吉田寺(宗国史)。吉田寺(真言宗豊山派)は吉田神社の別当寺であった。奥屋敷(おくやしき)の吉田神社は明治四一年(一九〇八)古山(ふるやま)七ヵ村の諸社、境内社田守(たもり)神社と合して、現在田守神社と称する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by