日本歴史地名大系 「薦田村」の解説 薦田村こもだむら 福岡県:飯塚市薦田村[現在地名]飯塚市菰田(こもだ)・菰田西(こもだにし)一―三丁目・菰田東(こもだひがし)一―三丁目など穂波(ほなみ)川右岸に位置し、北西は同川を挟んで飯塚村、南は丘陵を挟んで忠隈(ただくま)村(現穂波町)。蒋田村(続風土記附録)・菰田村(行政区画便覧)とも記した。鎌倉期と推定される年月日未詳の宇佐弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「薦田別符六十丁」とあり、これは「和名抄」所載の穂浪(ほなみ)郡薦田郷の別符として成立したものであろう。文安六年(一四四九)九月一八日の大鳥居信尭・信顕連署注進状(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)には「一、同国薦田庄之内大浦寺田地之事、付大浦寺之内砥上村之内田都王丸名」とあり、室町期には薦田庄が設定されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by