薦田村(読み)こもだむら

日本歴史地名大系 「薦田村」の解説

薦田村
こもだむら

[現在地名]飯塚市菰田こもだ菰田西こもだにし一―三丁目・菰田東こもだひがし一―三丁目など

穂波ほなみ川右岸に位置し、北西は同川を挟んで飯塚村、南は丘陵を挟んで忠隈ただくま(現穂波町)。蒋田村(続風土記附録)・菰田村(行政区画便覧)とも記した。鎌倉期と推定される年月日未詳の宇佐弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「薦田別符六十丁」とあり、これは「和名抄」所載の穂浪ほなみ郡薦田郷の別符として成立したものであろう。文安六年(一四四九)九月一八日の大鳥居信尭・信顕連署注進状(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)には「一、同国薦田庄之内大浦寺田地之事、付大浦寺之内砥上村之内田都王丸名」とあり、室町期には薦田庄が設定されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む