薬園庄(読み)やくおんのしよう

日本歴史地名大系 「薬園庄」の解説

薬園庄
やくおんのしよう

久安二年(一一四六)の大和国薬園荘縁松荘田堵等解(東大寺文書)に「薬園并縁松等御庄」、応保二年(一一六二)の官宣旨案(東南院文書)に「東大寺所司訴申押妨当寺領大和国清澄庄内薬園村」とあり、清澄きよずみ庄から分離した東大寺領荘園と考えられる。

所在は建仁三年(一二〇三)検田帳(東大寺続要録)のうちに「二町二条下司給、二町三条下司給」とある点と清澄庄の所在と比較すると、京南東きようなんひがし二条・三条の二里と考えられ、北は現今井いまい町辺りから市街地を経て南は天井てんじよう町辺りに至る地域に比定されよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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