日本歴史地名大系 「清澄庄」の解説
清澄庄
きよずみのしよう
康平三年(一〇六〇)の官宣旨案(東南院文書)に「清澄庄者、是従本願聖霊御施入已来(下略)」とあり、いわゆる天平勅施入に始まるといわれる東大寺領荘園である。
天暦四年(九五〇)の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)では「添下郡清澄庄田地廿七町二段七歩」とあり、面積が知られる。
その所在は、建治元年(一二七五)の清澄庄検田帳(東大寺文書)では、京南四条一里(七)・二里(二七)、五条一里(一)・二里(四)となる(括弧内は坪数)。これはほぼ正方形の地形で、現
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報