デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原光隆」の解説 藤原光隆 ふじわらの-みつたか 1127-1201 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。大治(だいじ)2年生まれ。父は藤原清隆。母は藤原家政の娘。猫間中納言とよばれた。安芸守,但馬守,越中守などを歴任。平治の乱では藤原信頼に荷担したとして一時解任された。のち正二位,権(ごんの)中納言。源義仲に大盛りの飯をふるまわれて閉口した逸話で知られる。建仁(けんにん)元年8月1日死去。75歳。号は壬生。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「藤原光隆」の解説 藤原光隆 没年:建仁1.8.1(1201.8.30) 生年:大治2(1127) 平安末・鎌倉初期の公卿。権中納言清隆と近衛天皇乳母家子の子。内蔵頭治部卿,大宰権帥等を歴任。『平家物語』では,「猫間中納言」として名高い。建久9(1198)年出家。子の家隆は『新古今和歌集』選者。 (木村真美子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報