改訂新版 世界大百科事典 「ザンギー朝」の意味・わかりやすい解説
ザンギー朝 (ザンギーちょう)
Zangī
ジャジーラからシリアを支配したトルコ系のスンナ派イスラム王朝。1127-1222年。セルジューク朝の分裂に乗じて各地に自立したアター・ベク国家の一つで,創始者はマリク・シャーの奴隷兵であったアーク・スンクルの子ザンギーZangī(1084-1146,在位1127-46)。1127年,ザンギーはモースル総督に任ぜられて自立し,西はシリア,北はクルディスターンに進出して領土を拡張するとともに,44年にはエデッサを陥れて十字軍への反撃を開始した。没後,領土は2人の息子によって東西に分割され,モースルのザンギー朝(1222年まで)はサイフ・アッディーン・ガージーSayf al-Dīn Ghāzīによって,アレッポのザンギー朝はヌール・アッディーン・マフムードによって継承された。ヌール・アッディーンは54年にダマスクスを攻略して十字軍に対する反抗の体制を固め,さらに69年,サラーフ・アッディーンをエジプトに派遣してファーティマ朝を滅ぼした。しかしアレッポのザンギー朝も,74年以後シリアの征服に乗り出したサラーフ・アッディーンによってアイユーブ朝に併合された。
執筆者:佐藤 次高
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報