コンラート3世(読み)コンラートさんせい(その他表記)Konrad III

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンラート3世」の意味・わかりやすい解説

コンラート3世
コンラートさんせい
Konrad III

[生]1093
[没]1152.2.15. バンベルク
ホーエンシュタウフェン朝初代のドイツ王 (在位 1138~52) 。ホーエンシュタウフェン朝の基礎を築いたが,みずからは神聖ローマ皇帝とはならなかった。シュワーベン公フリードリヒ1世の次男として生れ,1116年叔父のハインリヒ5世によって東フランケン公に任じられた。 27年ドイツ王となったザクセン家のロタール2世 (3世)の対立王に推されて王と抗争し,一時イタリア王ともなったが,38年ロタールの死後正式に王に選ばれ,アーヘン王位についた。しかしバイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ傲慢公 (ウェルフェン家) が彼の王位を承認せず,対立は傲慢公急死のあとも反乱となって継続したため,遺子ハインリヒ獅子公にザクセン領を与え,傲慢公の寡婦ゲルトルーデと結婚したハインリヒ・ヤソミルゴットにバイエルン領を継がせて事態を収拾した。 47年第2次十字軍に加わって小アジアにおもむいたが,疫病流行のために目的を果さず,50年帰国。のちシチリア王が北イタリアを侵したので,イタリア遠征を企てたが病没

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改訂新版 世界大百科事典 「コンラート3世」の意味・わかりやすい解説

コンラート[3世]
Konrad Ⅲ
生没年:1093か94-1152

シュタウフェン朝初代のドイツ国王(1127-35対立国王,1138-94国王)。1127年以来ロタール3世の対立国王。38年同王死去ののち改めて国王に選出される。在位全期間を通じて戦われたウェルフェン家との抗争はほとんど成果を収めなかったが,その過程で王が拠点確保のためにとった直轄領域の開発・形成政策は歴代シュタウフェン王の引き継ぐところとなった。47-49年にフランス王ルイ7世と第2回十字軍を企てたが,所期の目的は達せられなかった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コンラート3世」の解説

コンラート3世(コンラートさんせい)
Konrad Ⅲ.

1093~1152(在位1138~52)

ドイツ,ホーエンシュタウフェン朝初代の神聖ローマ皇帝。シュヴァーベン公フリードリヒの次子。皇帝ロタール3世の対立王で,その死後即位。ヴェルフェン家のハインリヒ傲慢(ごうまん)公と対立し,また第2回十字軍に加わって病を得た。

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