朝日日本歴史人物事典 「藤原千晴」の解説
藤原千晴
平安中期の武士的貴族。平将門の乱(935~940)で功績のあった秀郷の子。上京して武士的な働きをし,康保4(967)年に村上天皇が死去したおり伊勢の固関使を務めたことがある。在地の東国においては平義盛と争ったことが知られ,勢力拡大をはかったと察せられる。京では左大臣源高明 の家人として勢力を伸ばしたが,安和2(969)年の政変で高明が失脚した(安和の変)とき,子の久頼と共に検非違使源満季から追捕され,隠岐に流された。この事件については謀反を密告した藤原摂関家の家人源満仲が宿敵の千晴を追い落とすことを狙ったもの,という解釈がある。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報