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藤原千晴 ふじわらの ちはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原千晴 ふじわらの-ちはる

?-? 平安時代中期の武人。
藤原秀郷(ひでさと)の子。前相模介(さがみのすけ)。安和(あんな)2年(969)源満仲の密告による,源高明(たかあきら)の失脚(安和の変)に連座。源満季(みつすえ)に捕らえられ,隠岐(おき)に流された。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原千晴

生年:生没年不詳
平安中期の武士的貴族。平将門の乱(935~940)で功績のあった秀郷の子。上京して武士的な働きをし,康保4(967)年に村上天皇が死去したおり伊勢の固関使を務めたことがある。在地の東国においては平義盛と争ったことが知られ,勢力拡大をはかったと察せられる。京では左大臣源高明 の家人として勢力を伸ばしたが,安和2(969)年の政変で高明が失脚した(安和の変)とき,子の久頼と共に検非違使源満季から追捕され,隠岐に流された。この事件については謀反を密告した藤原摂関家の家人源満仲が宿敵の千晴を追い落とすことを狙ったもの,という解釈がある。

(朧谷寿)

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世界大百科事典内の藤原千晴の言及

【安和の変】より

…平安中期の政変。969年(安和2)3月,源満仲らの密告により,橘繁延,僧蓮茂らが謀反の疑いで逮捕・尋問されたが,罪は醍醐天皇の子で,儀式に精通し,朝廷に重きをなしていた左大臣源高明に及び,彼は大宰員外帥に左遷,繁延らは流罪,与党の源連は追捕され,また武士の藤原千晴(秀郷の子)らも捕らえられて流された。一方,右大臣藤原師尹が左大臣,大納言藤原在衡が右大臣に昇任した。…

※「藤原千晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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