藤原季兼(読み)ふじわらのすえかね

朝日日本歴史人物事典 「藤原季兼」の解説

藤原季兼

没年:長寛2.5.3(1164.5.25)
生年:生年不詳
平安末期の管絃に堪能な殿上人父方の祖父敦家,父敦兼,母方祖父顕季と名だたる管絃堪能者が居並ぶ家系に生まれる。『尊卑分脈』に「正四下備後守」と注される季兼が,にわかに殿上を許されたのは崇徳天皇の御遊の際であった(『今鏡』)。『古今著聞集』には,保元3(1158)年の復活内宴でひちりきを奏した話(巻3)や鳥羽院の八幡御幸で神楽庭火の本歌をとなえた話(巻6)などが載っている。『梁塵秘抄口伝集』には「資賢,季兼など語らひ寄せてもきゝ」と親王時代の後白河天皇の今様先達のひとりでもあったことが記されている。

(小川寿子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原季兼」の解説

藤原季兼(1) ふじわらの-すえかね

?-1164 平安時代後期の官吏,雅楽家。
藤原敦兼(あつかね)の次男。母は藤原顕季(あきすえ)の娘。正四位下,備後守(びんごのかみ)。家芸の管弦,とくに篳篥(ひちりき)にすぐれていた。源資賢(すけかた)とともに,後白河天皇の初期の今様(いまよう)の師。長寛2年5月3日死去。

藤原季兼(2) ふじわらの-すえかね

熱田大宮司季兼(あつただいぐうじ-すえかね)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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