改訂新版 世界大百科事典 「藤原顕季」の意味・わかりやすい解説
藤原顕季 (ふじわらのあきすえ)
生没年:1055-1123(天喜3-保安4)
平安後期の廷臣,歌人。藤原隆経の子。母は白河天皇の乳母藤原親子。白河天皇の叔父藤原実季の猶子となる。乳母子として白河天皇に近侍し,その寵を得,絶大な富と権勢を誇った。1075年(承保2)讃岐守となり1104年(長治1)美作守を辞するまで6ヵ国,30年間にわたって受領生活を送り,また1094年(嘉保1)から28年間修理大夫,1086年(応徳3)から21年間白河院別当となる。1095年院の賀茂祭見物のため3日で桟敷を作り,1104年仁和寺新堂に独力で9体の丈六阿弥陀像を安置し,人々を驚かしている。家が六条烏丸にあったため六条修理大夫と呼ばれ,和歌に秀で,社会的地位を背景に歌壇でも重きをなした。家集に《六条修理大夫集》がある。子孫に顕輔,清輔,顕昭ら歌人が輩出し,歌学の六条家の祖とされる。柿本人麻呂を追慕して,1118年(元永1)人麻呂影供(えいぐ)を催している。出家した年に没した。
執筆者:平林 盛得
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報