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藤原顕季 ふじわらのあきすえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原顕季
ふじわらのあきすえ

天喜3 (1055) ~保安4 (1123) 9.6. 平安時代後期の歌人。春宮大進藤原隆経の子。母は白河天皇の乳母親子。白河天皇の寵を受け,各国の国守を歴任。累進して修理大夫院の別当,正三位に叙せられ,天永2 (1111) 年には大宰大弐となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原顕季 ふじわらの-あきすえ

1055-1123 平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。
天喜(てんぎ)3年生まれ。藤原隆経(たかつね)の子。母は藤原親子。国守を歴任して財をたくわえ,白河院別当として勢力をもつ。修理大夫,正三位となり,六条修理大夫とよばれた。歌道の六条家の祖。人麻呂影供(えいぐ)歌会の創始で知られ,勅撰集には57首がはいっている。保安(ほうあん)4年9月6日死去。69歳。家集に「顕季集」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのあきすえ【藤原顕季】

1055‐1123(天喜3‐保安4)
平安後期の廷臣,歌人。藤原隆経の子。母は白河天皇の乳母藤原親子。白河天皇の叔父藤原実季の猶子となる。乳母子として白河天皇に近侍し,その寵を得,絶大な富と権勢を誇った。1075年(承保2)讃岐守となり1104年(長治1)美作守を辞するまで6ヵ国,30年間にわたって受領生活を送り,また1094年(嘉保1)から28年間修理大夫,1086年(応徳3)から21年間白河院別当となる。1095年院の賀茂祭見物のため3日で桟敷を作り,1104年仁和寺新堂に独力で9体の丈六阿弥陀像を安置し,人々を驚かしている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原顕季
ふじわらのあきすえ
(1055―1123)

平安後期の歌人。父は正四位下美濃守(みののかみ)藤原隆経(たかつね)、母は従(じゅ)二位藤原親子。母が白河(しらかわ)院の乳母(めのと)であったため、白河院の寵臣(ちょうしん)となり、正三位(さんみ)修理大夫(しゅりのだいぶ)に至った。この間、白河院近臣たちの和歌活動の中心的存在となり、しばしば歌会、歌合(うたあわせ)に出詠したほか、歌合判者も務め、1118年(元永1)の人丸影供(ひとまろえいぐ)の主催とも相まって、歌学の家として名高い六条藤家(ろくじょうとうけ)の祖として仰がれた。保安(ほうあん)4年9月6日没。歌風は、当時の和歌界を二分した革新派の源俊頼(としより)、保守派の藤原基俊(もととし)と比べると折衷的である。家集に『六条修理大夫集』がある。『後拾遺(ごしゅうい)集』以下に入集(にっしゅう)
 うちなびき春は来にけり山河(やまがは)の岩まの氷けふやとくらん[川上新一郎]

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世界大百科事典内の藤原顕季の言及

【六条家】より

…平安後期・中世の歌道家。北家藤原氏の総継(ふさつぐ)の流れをくむ藤原顕季(あきすえ)は京都六条烏丸に住んで六条修理大夫と呼ばれ,その家系を六条家という。顕季は歌才もあり歌壇で重んじられ,1118年(元永1)に源俊頼(としより),藤原顕仲(あきなか)らを招き人丸影供(ひとまるえいぐ)を催している。…

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