朝日日本歴史人物事典 「藤原家次」の解説
藤原家次
室町中期の檜皮葺方大工。藤原家次家は,奈良の円成寺春日堂と白山堂の檜皮屋根を葺く職,すなわち権利を独占していた職人の家柄(円成寺春日堂と白山堂は,現存する最古の春日造の神社建築であり,国宝)。このうち三郎四郎の名は,屋根葺替えをした永正15(1518)年の棟札に現れる。その子孫は奈良高御門町に住み,はじめは檜皮師として生計を立てたが,のちに紺屋に転業した。承応2(1653)年までに数回葺替えをしたが,これを最後に円成寺の仕事には携わらなくなった。その後は奈良をはなれて信州(長野県)小諸に移り住んだという。同地方にある新海三社神社の三重塔と法住寺虚空蔵堂で,葺替えに檜皮師として参加した「藤原家次」がこの家柄の末裔といわれている。<参考文献>伊藤ていじ『日本の工匠』
(高橋康夫・冨島義幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報