朝日日本歴史人物事典 「藤原是憲」の解説 藤原是憲 生年:生没年不詳 平安末期の公家。本名は高尹。藤原通憲(信西)と高階重仲の娘の子。官途は飛騨守,少納言など。源義朝が是憲を娘婿にと望むが信西は拒絶し,平治の乱(1159)の一因になったといわれる。のち出家して信乃入道と呼ばれ,善峰寺往生院で極楽往生したとされる。 (木村真美子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by