少納言
しょうなごん
令制(りょうせい)官職の一つ。「すないものもうし」とも読む。太政官(だいじょうかん)の少納言局に属し、駅鈴、内印(天皇御璽(ぎょじ)の印)、伝符(でんぷ)(郡馬を徴発する符)、飛駅(ひえき)の函鈴(かんれい)(急を要する場合)を取り扱い、また外印(げいん)(太政官印)を押すときに監督する。定員は3人で、いずれも侍従(じじゅう)を兼ね、地位は低いが重要な職であった。808年(大同3)定員外に1人増加、翌年また1人を追加したが、813年(弘仁4)定員の3人に戻した。
[渡辺直彦]
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しょう‐なごん セウ‥【少納言】
① 令制で、太
政官の職員。
外記(げき)を率いて太政官内の事務局を構成していた。外印(太政
官印)や鈴印・伝符などを保管する。従五位下相当。すないものもうすつかさ。
※続日本紀‐和銅五年(712)一二月丁巳「少
納言冝
下申
二官長
一、然後更奏印
上レ之」
※蜻蛉(974頃)上「少納言の、年へて四品になりぬれば」
② (清少納言が女流作家であったところから) 俗に、文学少女をいう。〔現代語大辞典(1932)〕
すない‐ものもうすつかさ ‥ものまうすつかさ【少納言】
〘名〙 令制で、太政官の官人。外印(太政官印)・鈴印・伝符などの保管・
出納にあたり、また文書事務の責
任も持つ。従五位下相当の官。すないものもうし。しょうな
ごん。
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少納言
生年:生没年不詳
室町幕府6代将軍足利義教の仕女,義教の残忍峻烈な性格のため尼にされた。長谷川某の息女。『看聞日記』永享4(1432)年8月6日条によれば,申次の誤りがあったとして室町殿(義教)に打擲され,髪を切られた。さらに義教はこれを尼衆にして法華寺へ追い下し,父長谷川の所領をも没収した。
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少納言【しょうなごん】
律令制で,天皇に侍(じ)して,駅鈴(えきれい)の交付や天皇印の押捺(おうなつ)などの小事を命令・報告する官。定員3人。侍従を兼ねる。弁官(べんかん)・外記(げき)とともに太政官(だいじょうかん)の事務部門の要職だったが,平安初期以後は蔵人(くろうど)が実権をにぎり,閑職となった。
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少納言
しょうなごん
律令官制の太政官の中に置かれた官職
太政官3局の少納言局に置かれ,詔勅の伝宣,天皇印・太政官印・駅鈴の出納管理にあたった。地位は低いが要職で定員は3〜5名くらい。のち蔵人 (くろうど) の設置によって実権を失った。
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少納言
しょうなごん
令制における太政官の判官。詔勅宣下のことを司り,駅鈴,内印 (天皇御璽) ,外印 (太政官印) の出納を取扱った。定員3人で侍従を兼任した。弘仁1 (810) 年蔵人所が設置されると主要な職務はそれに移り職権は弱まった。
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しょうなごん【少納言】
日本古代律令制の官職の一つ。もと,7世紀後半の天武朝に設置された太政官は,納言(ものもうすつかさ)という単一の官職で構成された官司であったと推定される。この納言は天皇に近侍して,天皇の命令を臣下に宣し,臣下の意見を天皇に奏することを任とした。飛鳥浄御原令(689施行)の官制で納言は大納言,中納言,小納言に分けられた。しかし701年(大宝1)の大宝令の官制では中納言が廃止され,大納言には侍奉官,奏宣官の任とともに議政官としての権能が付与されたが,小納言改め少納言は侍奉官,奏宣官にとどめられた。
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