藤原璋子(読み)ふじわらのしょうし

精選版 日本国語大辞典 「藤原璋子」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐しょうし【藤原璋子】

  1. たいけんもんいん(待賢門院)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原璋子」の意味・わかりやすい解説

藤原璋子
ふじわらのしょうし
(1101―1145)

待賢門院(たいけんもんいん)。権大納言(ごんだいなごん)藤原公実(きんざね)の女(むすめ)。母は但馬守(たじまのかみ)藤原隆方の女光子。鳥羽(とば)天皇の皇后。崇徳(すとく)・後白河(ごしらかわ)両天皇の母。白河法皇の猶子(ゆうし)。1117年(永久5)鳥羽天皇の女御(にょうご)。翌年中宮(ちゅうぐう)となる。さらに翌年5月、第一皇子顕仁(あきひと)親王(崇徳天皇)を産む。しかし顕仁は璋子と白河法皇の胤子(いんし)であるといわれ、鳥羽天皇も親王を「叔父子(おじご)」とよんだ。23年(保安4)崇徳天皇が即位し、翌24年(天治1)璋子は女院となり、待賢門院の院号を賜る。鳥羽上皇は美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))に愛を傾け、璋子は嫉妬(しっと)に苦しむ日が多く、崇徳天皇を圧迫しついに女院が上皇呪詛(じゅそ)するとの噂(うわさ)がたつほどであった。その結果、女院は双(ならび)ヶ岡(おか)の法金剛院の整備に力を注ぎ、30年(大治5)落慶供養(らっけいくよう)となった。久安(きゅうあん)元年8月3日、三条高倉宮に崩じ、法金剛院に送葬された。

山中 裕]

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原璋子」の意味・わかりやすい解説

藤原璋子 (ふじわらのしょうし)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原璋子」の解説

藤原璋子 ふじわらの-しょうし

待賢門院(たいけんもんいん)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原璋子」の意味・わかりやすい解説

藤原璋子
ふじわらのしょうし

待賢門院」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原璋子の言及

【待賢門院】より

…藤原璋子。鳥羽天皇の皇后,崇徳天皇,後白河天皇の母。…

※「藤原璋子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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