日本歴史地名大系 「藤原邦綱邸跡」の解説
藤原邦綱邸跡
ふじわらのくにつなていあと
平安初期の公卿大納言藤原邦綱の邸宅跡。
邦綱は治承五年(一一八一)閏二月二三日に没したが、「玉葉」同日条に「邦綱卿者、雖出自卑賤、其心広大也、天下諸人、不謁貴賤、以其経営、偏為身之大事、因、衆人莫不惜、但平禅門滅亡藤氏、此人頗与其事歟、故有蒙神罸之疑、可恐々々」と記している。
邦綱邸の位置については、「土御門東洞院第」(「玉葉」仁安元年一一月三日条)、「邦綱卿正親町第」(同書嘉応三年三月三日条)、「正親(町)東洞院邦綱卿第」(同書承安五年六月一二日条)、「土御門北、東洞院東」(「山槐記」治承四年三月四日条)から、正親町南、土御門北、東洞院東で、現京都御苑内のほぼ京都御所の位置にあたる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報