続史愚抄(読み)ぞくしぐしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「続史愚抄」の意味・わかりやすい解説

続史愚抄
ぞくしぐしょう

江戸中期の公卿(くぎょう)柳原紀光(やなぎわらのりみつ)が父光綱の志を継ぎ編修した歴史書。1259年(亀山(かめやま)天皇の正元(しょうげん)元年)から1779年(後桃園(ごももぞの)天皇の安永(あんえい)8年)まで520年にわたり、81冊。『百錬抄(ひゃくれんしょう)』の後を承(う)けた天皇中心の編年体の歴史、諸家の記録、社寺の旧記などを広く渉猟し、30年をかけ独力で完成した労作である。初め『三代実録』以後の欠を補おうとし宇多(うだ)天皇に筆をおこしたが、後深草(ごふかくさ)天皇までの31代は草稿にとどまる。天皇の日常生活、朝廷日々の行事、神事仏事など、記事は簡略ながら正確であり、各条に出典をあげている点が特色で有益である。「新訂増補国史大系」第13~15巻『続史愚抄』前・中・後篇(へん)所収

[宮崎道生]

『清原貞雄著『増訂日本史学史』(1944・中文館書店)』『坂本太郎著『日本の修史と史学』(1958・至文堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「続史愚抄」の意味・わかりやすい解説

続史愚抄 (ぞくしぐしょう)

亀山天皇受禅(1259)から後桃園天皇(在位1770-79)に至る編年体の歴史書。1777-98年(安永6-寛政10)の成立柳原紀光(もとみつ)の編纂。《日本三代実録》以後の国史編述を目的とするものであったが,宇多天皇(在位887-97)から後深草天皇(在位1246-59)に至る31代は成立しなかった。鎌倉時代中期以後の京都の公家政治の動向を知るのに便利である。《新訂増補国史大系》所収。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「続史愚抄」の意味・わかりやすい解説

続史愚抄
ぞくしぐしょう

亀山天皇から後桃園天皇にいたる 521年間の歴史書。柳原紀光 (1746~1800) が安永6 (1777) 年から稿を起し,寛政3 (91) 年完成,同 10年清書を終えた。初め六国史の跡を継いで宇多天皇から編修しようとしたが,完成をみないまま,亀山天皇以下の部分だけを成稿とした。前半の未完成の草稿は,その一部が『続史御抄』として現存する。亀山天皇以下の部分は史料を編年体に配列し,出典を明記して,81冊に及んでいる。叙述内容は,朝廷,公家社会の事柄が多く,信憑性のある文書,記録によって史実を集成したものといえる。『国史大系』所収。

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世界大百科事典(旧版)内の続史愚抄の言及

【柳原家】より

…また光綱は宝暦事件の際,血気にはやる若き公卿をよく押さえて竹内式部の糾明を幕府に要求した。この光綱は紀伝の家としての伝統を強く自覚し,《日本三代実録》以後の国史の欠を慨歎してその編修を思い立ち,その遺嘱を受け継いだ子の紀光(もとみつ)は諸家の記録文書を博捜して《続史愚抄》81冊を著した。紀光の集めた膨大な史料は〈柳原家記録〉として宮内庁書陵部に伝存している。…

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