藤原隆時(読み)ふじわらのたかとき

朝日日本歴史人物事典 「藤原隆時」の解説

藤原隆時

没年:嘉承2?(1107)
生年:生年不詳
平安後期の貴族,歌人。右衛門佐藤原清綱と信濃守平貞盛の娘の子。蔵人を経て,応徳3(1086)年叙爵。以後,但馬,近江,因幡の受領歴任白河院の判官代,のちに別当を勤める。中御門富小路に邸宅を有したことが知られる。『中右記』嘉承1(1106)年9月2日条により因幡守の現任が確認され,同2年12月30日条に「故隆時朝臣」とあることから,この間に没したものとみられる。『新古今和歌集』に1首入集。

(上杉和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原隆時」の解説

藤原隆時 ふじわらの-たかとき

?-? 平安時代後期の官吏
左衛門佐(すけ)藤原清綱の子。但馬(たじま),近江(おうみ),因幡(いなば)などの国守を歴任,正四位下にいたる。高階為章(たかしなの-ためあき)とならぶ白河上皇寵臣(ちょうしん)で,院別当をつとめた。富裕で,京都の屋敷内には5棟の倉があったという。嘉祥(かしょう)2年(1107)ごろ死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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