高階為章(読み)たかしなのためあき

改訂新版 世界大百科事典 「高階為章」の意味・わかりやすい解説

高階為章 (たかしなのためあき)
生没年:1059-1103(康平2-康和5)

平安後期の廷臣。備中守為家の長男。初め六位蔵人として白河天皇に近侍し,譲位後直ちに院司に補され,殊恩をもって越後守に任ぜられてからは,引き続き但馬加賀丹波など大国の守を歴任した。1093年(寛治7)加賀守在任中,父の近江守為家が興福寺衆徒の強訴により除名配流されたときも,為章は長男にもかかわらず特に縁坐をまぬがれ,四男の阿波守為遠が現任を停められたので,世人は専主の〈非常の断〉として驚嘆し,〈寵臣〉の名を高めた(《本朝世紀》)。父為家も周防守に始まって40余年受領を歴任した典型的な院司受領であるが,為章も父と同じ道を歩み,〈神祇,仏寺,封家,納官,全く以って弁済せず〉という姿勢で巨富を致し,荘園の顚倒(荘園としての実態を失わせること)に力を入れたため,興福寺や摂関家の怨みを買った(《中右記》)。没年は45歳とするもののほか,47歳とする説もある。
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朝日日本歴史人物事典 「高階為章」の解説

高階為章

没年:康和5.12.20(1104.1.19)
生年:康平2(1059)
平安後期の貴族。近江守高階為家藤原義忠の娘の子。白河院政の基盤をなす院近臣受領の典型。承暦3(1079)年白河天皇の蔵人となり,白河の寵愛と院御願寺造営の功により越後守に任じられて以降,但馬,加賀,丹波と大国の国守を歴任。二条万里小路にあった邸宅には,しばしば白河上皇御幸が行われた。丹波守に任じられた際,東寺領大山庄を収公するなど,任国の荘園に対し圧迫の姿勢を貫いた。<参考文献>橋本義彦『平安貴族社会の研究』,河野房男『平安末期政治史研究』

(上杉和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高階為章」の解説

高階為章 たかしなの-ためあき

1059-1104* 平安時代後期の官吏
康平2年生まれ。高階為家の長男。母は藤原義忠の娘。白河上皇の院司となり,寵臣(ちょうしん)として名がたかかった。永保(えいほう)元年越後守(えちごのかみ)となり,ついで但馬(たじま),加賀,丹波などの国守をつとめた。寛治(かんじ)4年正四位下。康和5年12月20日死去。45歳。

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世界大百科事典(旧版)内の高階為章の言及

【大山荘】より

…塔が再建された86年(応徳3),執行永俊による一色別符の申請に応じて源顕房は改めて仏聖灯油料として東寺に付した。その後丹波国司高階為章は寛徳(1044‐46)以後の新立荘園としていったん収公したが,1102年(康和4)に再び立券され,為章もそれを承認した。その後も国役をめぐる国衙との抗争がみられるものの荘支配は安定し,02年に46町であった荘田は22年(保安3)には荘田60町となり加納田も20余町におよんだ。…

※「高階為章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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